めらブログ

国語科の文法教育、作文教育、そのほか教育に関すること。ブログ名をすこし変えました(本名がずっと出るのがはずかしくなって。。。)

学校文法と、これまでの学校文法批判の問題点(1)

 標記の件について、先日有志の研究会で発表した内容があるので、転記します。目指したのが「まったく予備知識のない学部生でも、わたしの問題意識が伝わるようにする」というところだったので、ぜひ内容についてご批正いただければ幸いです(本文が常体だったり一人称が「発表者」だったりするのは、そういう事情からです)。ちなみにかなり長いので、何回かに分割してポストします。

 

  1. はじめに

 文法教育というテーマは、国語教育全体からみるとあまり盛り上がっていない。全国大学国語教育学会の学会誌『国語科教育』を見ても、直近5年ぶん(約90本)でタイトルに「文法」を含み、いわゆる「言葉のきまり」にあたる内容を扱っているものはわずか1本だけだった。近年『品詞別 学校文法講座』(明治書院)が刊行され始めたのは、学校文法を考え直すための重要な一歩である。だが、その取り組みはまだ始まったばかりだといえる。

 一方で文法は、中学校国語科の指導内容の一部をはっきりと占めている。学習指導要領も、文法については「単語の類別について理解し,指示語や接続詞及びこれらと同じような働きをもつ語句などに注意すること」(中学校1年〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕(1)イ(エ))、また「文の中の文の成分の順序や照応,文の構成などについて考えること」「単語の活用について理解し,助詞や助動詞などの働きに注意すること」(中学校2年〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕(1)イ(ウ)、(エ))を教えることを定めている。現行の中学校国語科教科書(5社分)でも、多少の扱いの差はあるが、どれも一定のページ数をさいて口語文法を教えている。しかし冒頭で見たように、文法教育の内容はこのままでいいのか、もっと有効な教え方はないのか、といった検討は盛り上がっていない。要するに文法は、現場レベルでは「教科書に載っているから、なんとなく」教えられ続けているというのが実状である。

 発表者は、国語科の文法教育はもっと学習者の言語活動につながる有効なものになるべきだと考えている。しかし「文法教育をどのように変えるべきか」という提案をいきなり行っても、議論が盛り上がっていない現状では「なぜ変えなければならないのか」という問題意識の共有から難しいだろう。そこで以下では「なんで文法教育やるの?」という疑問に答えるために、そもそも学校文法にどんな問題があるのか、また従来の学校文法批判にどんな問題があるのかについて述べていきたい。

 発表は、次のような構成で進める。

  1.はじめに ←今ここ
  2.そもそも、学校文法の問題点とは?
  3.なぜ今までの学校文法批判には効果がなかったのか?
  4.おわりに

 ちなみに「学校文法」という用語は、(1)一般的に、ことばの教育で使われている文法論(広義の学校文法) という定義と、(2)現行の教科書に使われている文法論(狭義の学校文法)という2つの定義がある(田近・井上編(2004)、p.38)。本発表は、このうち(2)の定義で用いる。つまりこの先「学校文法」というときには、歴史的な文脈を抜きにして、現在使われている国語科教科書に載っている文法体系(のうち、教科書間の一部の内容のずれを無視して、だいたい一致するところの文法事項)のことをさす。

【参考文献】
田近洵一・井上尚美編(2004)『国語教育指導用語辞典 第三版』教育出版