めらブログ

国語科の文法教育、作文教育、そのほか教育に関すること。ブログ名をすこし変えました(本名がずっと出るのがはずかしくなって。。。)

学校文法の課題

 なんだかでかすぎるタイトルですが。笑 論点整理(というかブログ執筆の練習)もかねてまとめたいと思います。この件についてくわしい方には「何をいまさら」と言われそうな話ですが……。

 

 いまの中学校国語科で教えられている文法体系、いわゆる学校文法*1には、大きく以下の3つの課題があります。

 

【課題1】他の領域とのつながりが不明瞭

 学校文法ではたとえば「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」といった「活用形」を教えます(場合によっては暗記します)。このような文法教育が、子どもの「書くこと」「読むこと」あるいは「話すこと・聞くこと」にどう生きるのかはよくわかっていません。たとえば子どもの作文には、主述のねじれ、だらだら文(主語と述語が離れすぎる文)、修飾語と被修飾語の非対応、といった文法上の課題が表れます。このような課題を緩和するために、「未然、連用……」といった事項を教えることがどう役立つかは不明瞭です*2。もっといえば、そもそも作文の中にどれくらい活用の書き誤りが出てきているのかもわかりません*3。もし文法を子どもの作文に生きるものにしようとするのであれば、子どもがどんな書き誤りをしているのかを明らかにしたうえで、それらの事項に対応した内容に変えていく必要があります。

 

【課題2】そもそも文法を何のために教えるのか(目的)が不明瞭

 課題1で述べたように、学校文法の内容はかならずしも他の領域とつながりを持っていません。この意味で、いまの文法教育の内容には課題があります。しかしそもそも文法教育の目的、つまり国語科では文法を何のために教えるのかということについても、かならずしも合意がとれていないように見えます。

 もし文法を教える目的が「言語活動に生かすため」ということにあるとしたら、先に述べたように、文法と作文などが関連をもてていないという課題について乗り越える必要があります。一方、もし目的が「言葉に対する分析力(メタ言語能力)を磨くため」ということにあるとしたら、たとえば「歩かない、歩きます……」にあたるような活用表を自分で書いてみて、それと学校文法の活用表を見比べてみる、といった活動も一定の意味をもつかもしれません。このような目的設定なら、今の学校文法は結果的に社会に浸透しているし、見比べる対象としては十分じゃないか、という議論もありえます。

  ここからいえることは、学校文法について、教育内容以前にそもそもどういう教育目的を設定するのかという議論が必要だということです。この議論をしないと、目指すゴールがわからないために内容の改善もできません*4

 

 【課題3】けっきょく高校入試で橋本文法が出てしまう

 いろいろ書いてきましたが、たぶんこれがもっとも身近かつ最大の問題です。どんなに中学校の先生方が文法教育の内容や方法をブラッシュアップしたとしても、けっきょく高校入試で「歩きますの『歩き』の活用はなんですか」といった問題が出てしまうと、先生方は「未然、連用……」そのものを教えざるをえません。こうなると、「学校文法教える」のではなく「学校文法教える」状態になってしまいます。ここでは、「言語活動に生かすため」という目的も、「言葉に対する分析力を磨くため」という目的も追いやられ、「学校文法そのもの」を学ぶことが目的になってしまいます。課題2とも連動しますが、文法教育をなんのために行うのか、そのためにはどんな内容が有効なのか、ということをもう一度考え直す必要があります。

 

 つけ加えれば、中学校では来年度から施行される新学習指導要領との関係からも、文法教育の見直しが必要になる可能性があります。新学習指導要領が、育成を目指すべき資質・能力(三つの柱)として(1)知識及び技能、(2)思考力、判断力、表現力等、(3)学びに向かう力、人間性等をあげているのはご存じかと思います。このうち文法は(1)知識及び技能に当てはまりますが、この(1)知識及び技能と、(2)思考力・判断力・表現力等との関係について、学習指導要領解説は次のように述べています。

 

この〔知識及び技能〕に示されている言葉の特徴や使い方などの「知識及び技能」は、個別の事実的な知識や一定の手順のことのみを指しているのではない。国語で理解したり表現したりする様々な場面の中で生きて働く「知識及び技能」として身に付けるために、思考・判断し表現することを通じて育成を図ることが求められるなど、「知識及び技能」と「思考力、判断力、表現力等」は、相互に関連し合いながら育成される必要がある。

文部科学省(2018)『中学校学習指導要領解説 国語編』東洋館出版、pp.7-8

 

この箇所には、「知識及び技能」は「思考・判断し表現することを通じて」育成が求められると書かれています。またそのことによって、「知識及び技能」が「様々な場面の中で生きて働く」ことをめざすと書かれています。ここから、文法を含めた「知識及び技能」について、次の2つが問題になりえます。

 

(a)「思考力、判断力、表現力等」の指導を通じて「知識及び技能」を指導する、というとき、具体的にどのような教育方法が想定されるのか。たとえば「知識及び技能」として「自分たちで活用表を作ってみる」といった活動をしたとき、国語科の「思考力、判断力、表現力等(=話すこと・聞くこと、書くこと、読むこと)」とはあまり関連をもっていないようにも見えます。このとき、「自分たちで活用表を作ってみる」といった活動は国語科の教育として認められない、ということになるのでしょうか。

 

(b)様々な場面の中で生きて働く「知識及び技能」として、どのような目標、あるいは内容が想定されるのか。たとえば、「言葉に対する分析力を磨くため」という目的は、「様々な場面の中で生きて働く」という目標に合致しているといえるのでしょうか。もしいえないとすれば、新学習指導要領の規定に合わないという理由で、これらの目的を退けてしまってよいものでしょうか。

 

 個人的には「新学習指導要領が○○になっているから」という理由で、今までの蓄積がどこかに追いやられ、いつのまにか内容が尻すぼみしている、ということがないようにあってほしいと思います。このあたりの学習指導要領の理解については、書き手の理解不足の可能性も高いので、もし情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教示ください。。。

*1:英語科には英語科の学校文法があるので、両者を区別するために「学校国文法」「学校英文法」と明記することもあります。ここでは前者を指して「学校文法」といいます。

*2:Graham and Perin(2007)は、「伝統的な文法指導」つまり子どもの言語活動と関係なく、文法を単独で教えるような指導は、かえって子どもの作文活動に負の効果をもたらすと述べています。参照→Graham, Steve and Perin, Dolores(2007). Writing Next. Alliance For Excellent Education.

*3:外国とつながりのある子どもや障害をもつ子どもについては、文法上の書き誤りの出方が変わる可能性もありますが、そのときに学校文法の「未然、連用……」がどのくらい役立つかはわかりません。個人的には、あまり多くの期待はできないのではないかと思います。

*4:学校文法への批判について、その文法論としての内容の矛盾を指摘するものが多くあります。活用論でいえば、なぜ未然形という「形」に「歩く」「歩こう」という2つの形があるのか、なぜ未然形は「未だ然らず」という「意味」による名づけなのに、連用形は「用言に連なる」という「接続」による名づけなのか、といった指摘です。これは学校文法を学問的に適切なものにするために必要な指摘です。が、わたしはこのような議論の前に、まず本文で述べたような「文法教育の目的は何か」という課題に取り組むべきと考えます。この議論を抜きにしてしまうと、どんなに文法論としての整合性がとれていても、また別の暗記の対象を生んでしまう可能性が高いからです。内容上の整合性は、言語活動との関連や目的との関連を担保したうえで論じるべきだと思います。