めらブログ

国語科の文法教育、作文教育、そのほか教育に関すること。ブログ名をすこし変えました(本名がずっと出るのがはずかしくなって。。。)

学校文法に関する疑問(1) なんで橋本文法が定着したの?

この記事の目的

 半ば思いつきですが、論文ではないかたちで、「国語の文法ってどうにも教えにくいけど、どこから考えたらいいのだろう」という方向けに、これまで調べたり考えたりした内容をまとめてみることにしました。ふだんわたしがやっている文法教育史の研究より、もうちょっと現代に関連する話題をとりあげるつもりです。「(1)」などとつけているのは、現時点でもいくつかの記事になりそうな気配がしているからです。ご覧くださった皆さまの議論のきっかけになれば幸いです。

 

 あ、「用言の活用ってどう教えたらいいの?」というような、具体的な指導法の話はあまりしません(もとい、私にはできません……)。それよりも、「そもそもなんで用言の活用が重視されるようになったの?」「そもそもほんとうに用言の活用を重視すべきなの?」といった「そもそも論」の話が多くなる予定です。

 

学校文法とは?

 学校文法とは、学校教育における国語科のなかで教えられる文法体系のことをいいます。「学校国文法」ということもありますが、これは英語科のなかで教えられる「学校英文法」ととくに区別するためです。この記事では、とくに断りがないかぎり「学校国文法」のことを「学校文法」といいます。

 

 学校文法は、その内容が「書くこと」や「読むこと」といった他の領域と関連をもちにくいことが批判されています。たとえば「書く」という動詞の活用語尾を「か、き、く、く、け、け」と暗記しても、活用自体すでに修得している日本語母語話者にとっては、作文がもっとよく書けるようになるといった効果はありません*1。このため、「なんで学校文法なんて『役に立たない』ものを教えるの?」という批判があります。またそこまで強くいわないにしても、「どうしたらもっと文法の時間が意味あるものになるの?」という悩みの声は多いと考えられます。

 

学校文法と橋本文法

 学校文法は、東京帝国大学教授・橋本進吉(1882-1945)の文法理論、いわゆる「橋本文法」をもとにしています。これは第二次世界大戦下において、中学校教科書が国定化されたときの教科書『中等文法』(1943年、文部省)が、橋本文法に依拠していたためです。学校文法は、おおよそ80年前に作られた教科書の内容をベースにして教えられ続けています。これは国語教育学・日本語学の事典を開けばすぐ出てくる話です。

 

 しかし尋常中学校の教科書検定が始まった1887(明治19)年から、教科書が国定化される1943(昭和18)年までのあいだに、中学校における文法教科書は324点出版されています*2。これはこの期間の中学校国語科において、ほかの「講読」「作文」などの科目を差し置いて最多です。まず、文法教科書にこれだけのバリエーションがあったことに驚きます。次に、このことを現代の目から見直してみると、明治~大正~昭和の文法教科書は、この324点のなかから最終的に『中等文法』=橋本文法を学校文法の内容として選んだといえます。

 

 では、学校文法の内容として、橋本文法が選ばれたのはどうしてでしょうか? この問題について考えることは、上に述べたような「なぜ学校文法が作文などの領域と関連を持ちづらくなったのか」について、歴史的な経緯を探るのに役立つはずです。

 

岩淵が橋本文法を採用した理由

 『中等文法』を作ったのは、東京帝国大学講師(肩書は当時、のちに国立国語研究所所長)・岩淵悦太郎(1905-1978)です。では、岩淵はなぜ橋本文法を教育内容に選んだのでしょう。そのことについて考えるために、まず岩淵の考える文法教育の方法や目的について確認しましょう。岩淵は、じしんが『中等文法』を編纂するときに考えたことについて次のように語っています。

 

文法教育は、与へられた法則を知識として記憶させるものではなく、学習者自身の手によつて帰納的に発見せしめ、法則を明確に把握せしめることでなければならない。従つて、研究的精神を養ひ、学問的意欲を培ふものとして、文法教育ほど適したものはないと言へる。

岩淵悦太郎(1944)「国定文法教科書に就いて」『国文学 解釈と鑑賞』9(4)、ぎょうせい、pp.30-31、下線引用者(以下同様)

 

岩淵はここで、文法の法則を「知識として記憶」するのではなく、「帰納的に発見」することが重要であると述べます。そのうえで、文法教育の目的を「研究的精神」を養うこと、「学問的意欲」を培うことにおきます。ここからは、岩淵が『中等文法』を編纂するときの前提として、次の2つが読み取れます。

 

(1)文法は、「記憶」ではなく「発見」すべきものであること。(教育方法についての前提)

(2)文法は、(「書くこと」「読むこと」などに役立てるというより)「思考力や態度」を養うものであること。(教育目的についての前提)

 

岩淵は、(1)文法が「与へられた法則を知識として記憶させるものではなく、生徒自身の手によつて帰納的に発見せしめ」と、生徒自身が「発見」するものになることを重視しています。また(2)文法によって「研究的精神」や「学問的意欲」、つまり「こうすれば日本語の法則を見つけられるのだ」「ほかにはどんな法則があるのか見つけてみたい」という思考力、態度を養おうとします。

 

ではこの2つの前提と、橋本文法はどう関わるのでしょうか。それについても、岩淵は次のように語っています。

 

従来の教科書では、――勿論中には例外もあるが――実用性の顧慮のためか、十分学的に整理されることなく、そのために曖昧なところを生じ、学習者をして混迷に陥れた部分も少くなかつたやうである。今回の教科書(勘米良注:『中等文法』)は、この点に意を用ひ、理論的に整然としたものたらしめようと意図されてゐる。例へば、「文節」といふ考へ方を導入し、単語に自立語と付属語の別のあることを明かにし、その各々の特質を説いたごとき、品詞に於いて、名詞・代名詞・数詞を区別することなくこれを一つの品詞とし、形容動詞を独立せしめ、新たに連体詞を加へたごとき、形容詞の活用に所謂カリ活用を統合一本にしたごとき、「静かに」「丁寧に」といふやうなものは、これを副詞とせずに形容動詞の一活用形としたごとき、助動詞に「さうだ」「やうだ」を加へたごときものである。

(前掲書、pp.32-33)

 

上の引用で岩淵は、生徒を「混迷」させないため、つまり生徒自身が明瞭に「発見」し「思考力や態度」を養えるようにするため、文法論を「理論的に整然としたもの」としようとします。そのときに岩淵が参照するのは「文節」「形容動詞」「連体詞」など、まさに橋本文法にあたる内容です。ここからいえることは、橋本文法は、その体系が「理論的に整然と」していると考えられ、生徒の「発見」および「思考力や態度」の育成のために有効と考えられたから取り入れられたということです。意外に思われるかもしれませんが、岩淵の当初の意図としては、橋本文法は暗記よりむしろ生徒自身が「発見」するものだったのです。

 

橋本文法が暗記の対象になっている理由

 それでは、岩淵の想定に反して、どうして今の学校文法(橋本文法)は暗記の対象になってしまっているのでしょうか? このことの参考になる議論をしているのが森田(2021)です。森田は、『中等文法』刊行以前の文法教育を明治期までさかのぼり、どのように学校文法の内容が『中等文法』にまとまっていったのかを分析しています。森田は、上記のような岩淵の議論も参考にしつつ、橋本文法のよさは「方法知として品詞分類の基準が明確」(pp.285-286)であるところにあると述べます。しかし同時に、その後の橋本文法の受け止められ方について、次のようにも述べます。

 

問題はその学習上の分かりやすさというものが、教授のたやすさに転用されてしまったことにある。

森田真吾(2021)「「学校文法」成立過程における指導内容の生成と収斂」筑波大学博士論文、p.286)

 

分かりやすく教えやすいものが文法的な知識における「規範」として継承される状態において、そこからはみ出してしまう「異端」とは、ほかならぬ学習者個人のそれぞれの言語生活を反映した(いわゆる「談話生活」に密着した)「生の言葉」であると考えることができるだろう。

(前掲書、p.288)

 

森田は、品詞分類の基準が明確であることが(生徒の「発見」のためではなく)教師が「教授」するための「分かりやすさ」として理解されてしまったと述べます。さらに、その「分かりやす」い内容(橋本文法)が「規範」として理解されると、学習者個人の「生の言葉」が「異端」として処理されてしまうと述べます。つまり橋本文法は、教師から生徒に「教授」する対象として、そして生徒が身につけるべき「規範」として理解されてしまったために、かえって生徒自身のことばを無視するような教え方になっているということです。

 

 ここからいえることは、文法の内容がどんなものであっても、それが「教え込むもの」として理解されてしまうと、結局生徒の実態をふまえない暗記の対象になってしまうということです。それは岩淵が「発見」するものとして想定した橋本文法が、いまは「教授」するものになってしまった現状から明らかです。もちろん、いまの橋本文法が、今日の目から見て本当に「発見」しやすいものになっているかは別途検討が必要です*3。しかし仮に学校文法を修正しても、もし教える側が新しい文法を「規範」ととらえ、生徒のことばを「異端」と見てしまっては、また同じような学習がくりかえされてしまいます。

 

 学校文法の大きな課題のひとつは、文法の内容より、文法の目標が十分に定まっていないところにあります。橋本文法の内容にすべての原因を帰すのではなく、「そもそも文法は何のために教えるのか(書くこと、読むことなどに生きる「実用」のためか? それとも文法的な「思考力」のためか?)」「その目標に適した内容とはどのようなものか?」という検討が必要です。

 

まとめ

 この記事では、「なんで橋本文法が定着したの?」という問題について書いてきました。あらためてまとめると次のような結論になります。

 

  • 橋本文法が定着したのは、1943年の国定教科書『中等文法』に採用されたのが直接的なきっかけ。
  • 橋本文法が『中等文法』に採用されたのは、編者の岩淵悦太郎が、橋本文法を「理論的に整然と」したものととらえ、生徒が「発見」し、「思考力や態度」を育むのに有効と考えたからだった。
  • その後、橋本文法が暗記的に指導されてしまうようになったのは、発見するための「分かりやすさ」が、教授のための「分かりやすさ」にすり替わって理解されてしまったからだった。
  • 文法教育の課題のひとつは、文法の内容ではなく、文法の目標が十分に定まっていないところにあると考えられる。

 

読書案内

*1:ちなみに、この内容が日本語非母語話者の日本語運用につながるかも微妙です。いま日本で使われている日本語教育のテキストで、学校文法に沿った指導をしているものはかなり少ないと思われます。

*2:文部省「検定済教科用図書表」をもとに、筆者調べ。いずれのバージョンも国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。

*3:口語文法のことだけを考えれば、未然形に「書かない」「書こう」の2つがあったり、連用形に「書きます」「書いた」の2つがあったり、同形の「書く」が終止形と連体形に分かれていたりすることは、生徒からすればかなり「発見」しづらい処理だと考えられます。