第1回「教科教育史研究会」の感想
去る2月20日、東海大学の斉藤仁一朗先生といっしょに、第1回「教科教育史研究会」をZoom上で開催しました。
当日は15名の方にご参加いただき、とても楽しい時間を過ごせました。ここではその概要や感想を備忘録的に書いておきます。
開催の経緯
研究会を始めたきっかけは、昨年の年末、斉藤先生が次のようなツイートをされていたことでした。
今年一年で、教科教育史研究のポテンシャルを信じたいと一層感じるようになった。授業改善や現在の動向と直結させるのではなく、周辺の学問領域の問題関心とも絡め合わせながら、広がりを持った議論を誘う。自分の能力に自信はないが、誰かが教科教育史研究を始めたいと思えるように貢献したい。
— 斉藤 仁一朗 (@jinichirosaito) 2020年12月30日
そして、きっとこのためには、同じような問題意識を持つ研究関係者と連帯を組んだり、少し学んでみたいけど仲間が周りにいない学生を守れるような工夫をした方がよいのかもしれない。これも来年以降の私の課題だと思う。
— 斉藤 仁一朗 (@jinichirosaito) 2020年12月30日
これに関して、「その問題意識わかります」「教科教育史のこと考えるコミュニティがあるといいですよね」「作りたいですね、研究会とか」「あ、じゃあやります?」「やります??」という感じで盛り上がったのが、昨年の大みそか。それまでほとんど面識のなかった私のきらくな提案に、快く乗っていただいた斉藤先生にほんとうに感謝しています(わたしはいま諸事情あって鍵アカなので、議論の様子が見られない場合もありますが、だいたいこんな感じです 笑)。
その後、斉藤先生と何度かZoomで打ち合わせをさせていただき、研究会のコンセプトや形態、周知の方法を詰めていきました。
研究会のコンセプト
先のウェブサイトにもありますが、「「教科教育史」に関心がある人が緩やかに繋がり、元気づけあえる会」というものです。
こういうコンセプトになったひとつの理由として、教科をまたいだ教科教育史への視点があってもいいのではないか、ということがありました。教科の教育史に取り組むといっても、実際には「国語教育史」や「社会科教育史」など、特定の教科に視点をおいて研究を進めることがほとんどだと思います。ただそうなると、ひとつの問題として、自分の教科の特性や歴史性を相対化しにくい、ということが起こります。その課題を乗り超えるためにも、ほかの教科の場合はどうなのかということに目を向ける必要があるということです。またそれと別に、そもそも他教科のことを知らないと自分の教科のことも本当は語れないだろう、ということもあります。ある教科の内容は単独に決まるのではなく、他教科の内容との関連の中で決まるからです*1。そういうわけで、教科をまたいだ教科教育史について議論できるコミュニティをめざすことになりました。
こういうコンセプトになったもうひとつの理由は、純粋に教科教育史について語り合ったり、新たに興味を持ってもらったりするための場がほしかったということがあります。実際に研究会を開いてみても思ったのですが、教科教育史に取り組んでいるみなさんは、自分たちが「教科教育にどのように貢献できるのか?」という「引け目」があるように思います(あくまでわたしの主観なので、ちがったらごめんなさい)。研究会やその後のアフタートークの中では、「現代の教育への貢献が求められる教科教育において、歴史研究はどのように意義を語っていくか?」ということが話題になりました。実際に斉藤先生からは、話題提供の中で「(歴史研究をやっている自分たちは)マイノリティだ」というご発言もありました。このような意味で、教科教育史に取り組んでいるみなさんは、どこか「引け目」のようなものを感じているような気がします(気がするだけです。ちがったら叱ってください。笑)。ただ教科教育史をやっている皆さんは、同時に、「歴史研究には確固たる面白さや意義がある」という信念も強く持っているように思いました。このような意味で、「教科教育史っておもしろいし、こういう意義があるよね」ということをしっかり発信していける場があったほうが、教科教育史に取り組んでいる方、あるいはこれから取り組もうとしている方の背中を押すことができるのではないか、と考えました。これが、教科教育史について語り合ったり、新たに興味を持ってもらったりするためのコミュニティをめざした経緯です。
斉藤先生とお話をしながら、じぶんもこういった問題意識を深めて、第1回の研究会開催をめざすことになりました。
第1回の感想
第1回は、研究会主催の「相方」となった斉藤先生にご発表いただきました。内容はつい先日刊行された博士論文を軸に、「なぜ自分は教科教育史に取り組んでいるのか、その課題設定にあたってどんなことに悩んだのか」をざっくばらんにお話しくださったものでした。
自分の発表ではないのでこれ以上の詳細は省きますが、研究会の中で議論になったのは、やはり「なぜあえて(アメリカの)社会科教育史を紐解くのか?」といったところでした。質問者の中には、ご自身も教科教育史の研究をされている方で、「なぜそのフィールドなのか?(別のフィールドではダメなのか?)」「なぜ歴史なのか(別のアプローチではダメなのか?)」といったことについて問われた経験をもとに、あなたの場合はどうなの、という質問をされている方もいました。わたしはそれを聞いて、やっぱりみなさん同じようなところに関心や問題意識があるんだな……ということを(司会をしながら)強く感じていました。
それに関連して、これはアフタートーク(けっきょく1時間くらい話が続きました 笑)で出た話題なのですが、「教科教育史を専門にしている研究者が、たとえば学外の授業研修などに呼ばれたとき、歴史的な観点からコメントをするか?」という問いについて、そのとき答えた方(わたし含め)の全員が「しない」という返答をしていたのが印象的でした。笑 そうだとすると、歴史研究と現代的な教育への貢献の接合点はどこにあるのか? わたしたちはどういう人たちに、どのように歴史研究を語っていくべきなのか? といったことも問題になるのだろう、という気がしています。
第1回の参加者は、社会、国語、理科、家庭科、思想史、教育史以外(教師教育など)、あるいは現場の先生や教育関連機関にお勤めの方まで、幅広い方々にご参加いただきました。そういった中で、上記のような課題を教科を超えて共有できたことにはきっと大きな意義があると思っています。初回からたくさんの方にお申し込みをいただき、またこういう議論ができたことは、主催であるわたしにとってもとても「元気づけ」られるものでした。
次回は?
こういうことを書いてきてなんですが……わたしが発表します。笑 まだウェブサイトにはアップしていませんが、3月28日(日)の14:00から、「なぜ、いま、文法教育史なのか?」というテーマでお話する予定です(Zoomミーティングを使用)。また申し込み方法など詳細な告知は後日twitterやこのブログでお知らせします。ご覧いただき、ご興味をもっていただけたらぜひご参加ください*2。
自分としては、かなり楽しみなコミュニティになっていきそうです。参加資格はまったくありません(教科教育史研究をご専門にしていない方も歓迎です)。ご興味ある方は、ぜひお気軽にお声かけください。
*1:たとえば1900(明治33)年の小学校令施行規則では、「読本」の「材料」を「修身、歴史、地理、理科其ノ他生活ニ必須ナル事項」としています。国語科の内容の中に「修身」「歴史、地理」「理科」といった他教科の内容が入り込んでいます(社会的な教材や理科的な教材が含まれているのは今でもそうですね)。このような状況では、国語科の内容も他教科の内容との関係抜きには語れません。このあたりは甲斐雄一郎(2008)『国語科の成立』東洋館出版などに詳しいです。
*2:というか、前回の第1回も、このブログも含めて告知すべきだったな……どうもブログの使い方がうまくないですね……「歴史研究を語る機会」として、このブログもこれからはもうちょっと回していければと思っています。