「書く」こととモチベーションの関係
できることなら、毎日一定の時間「書く」ことをしたいと思っています。ランナーが走らないと身体がなまるように、いろいろあってしばらく書いていないと、明らかに書けなくなります。逆に毎日少しずつでも書けている場合は、アイデアが出てきやすくなったり、文がまとまりやすくなったりします。「書く」ことの回路をつないでおくことで、ことばが出てきやすくなるように思います。
これは「読む」場合でもそうです。かための文章を「読む」ことを続けていないと、明らかに読めなくなります。逆に毎日少しずつでも読めている場合は、その文章の論理が辿りやすくなったり、批判的に読んだりということがしやすくなります。意外なような気もするのですが、「書く」ことの回路と「読む」ことの回路は別で、それぞれ別に風通しをよくしておかないとうまくいかない気がします。
さらに、これが一番重要なのですが、「書く」ことの回路をつないでおかないと、ついつい日々のことに追われたり、別のことをやりたくなったりしてしまいます。書こうという気持ちを持ち続けるためにも、「書く」ことの回路をつないでおくことが大切です。これもふしぎなのですが、「気を散らさない」ということについては「書く」ことが大切で、「読む」ことだけではうまくいかない気がしています。インプットよりアウトプットの方がメンタル面にいい影響を与えるということがあるように思います(あくまで個人の経験則)。
ただし難点は、「書く」ためには「書きたいこと」が必要なところです。「読む」ためなら、探す手間とお金をかければ「読みたいもの」がなくて困るということはありません*1。しかし「書く」ためには書くべきと自分が感じている内容、つまり「書きたいこと」が必要です。そしてある程度の量と内容の「書きたいこと」をまとめるためには、事前に「読む」ことや「調べる」ことが必要です*2。つまり、「気を散らさない」ためにはまず「書く」ことが必要なのだけれど、そのためにはまず継続的に「読む」ことや「調べる」ことが必要で、しかし「書く」の前段階として「読む」ことをしている間に全体的にモチベーションが下がり、その結果「書く」ことからに遠のき……という負のループに陥りがちです*3。
そういうわけでこの記事は、自分の「書く」ことの習慣化のために、「読まなくても書けること」を中心に頭のなかをまとめ直したものです。自分が「書く」ための活動なので、これを「読む」みなさまにどんな意味があるかはわかりません。個人ブログなのでたまにはこういうのも許していただければ幸いです(?)。