めらブログ

国語科の文法教育、作文教育、そのほか教育に関すること。ブログ名をすこし変えました(本名がずっと出るのがはずかしくなって。。。)

学校文法に関する疑問(1) なんで橋本文法が定着したの?

この記事の目的

 半ば思いつきですが、論文ではないかたちで、「国語の文法ってどうにも教えにくいけど、どこから考えたらいいのだろう」という方向けに、これまで調べたり考えたりした内容をまとめてみることにしました。ふだんわたしがやっている文法教育史の研究より、もうちょっと現代に関連する話題をとりあげるつもりです。「(1)」などとつけているのは、現時点でもいくつかの記事になりそうな気配がしているからです。ご覧くださった皆さまの議論のきっかけになれば幸いです。

 

 あ、「用言の活用ってどう教えたらいいの?」というような、具体的な指導法の話はあまりしません(もとい、私にはできません……)。それよりも、「そもそもなんで用言の活用が重視されるようになったの?」「そもそもほんとうに用言の活用を重視すべきなの?」といった「そもそも論」の話が多くなる予定です。

 

学校文法とは?

 学校文法とは、学校教育における国語科のなかで教えられる文法体系のことをいいます。「学校国文法」ということもありますが、これは英語科のなかで教えられる「学校英文法」ととくに区別するためです。この記事では、とくに断りがないかぎり「学校国文法」のことを「学校文法」といいます。

 

 学校文法は、その内容が「書くこと」や「読むこと」といった他の領域と関連をもちにくいことが批判されています。たとえば「書く」という動詞の活用語尾を「か、き、く、く、け、け」と暗記しても、活用自体すでに修得している日本語母語話者にとっては、作文がもっとよく書けるようになるといった効果はありません*1。このため、「なんで学校文法なんて『役に立たない』ものを教えるの?」という批判があります。またそこまで強くいわないにしても、「どうしたらもっと文法の時間が意味あるものになるの?」という悩みの声は多いと考えられます。

 

学校文法と橋本文法

 学校文法は、東京帝国大学教授・橋本進吉(1882-1945)の文法理論、いわゆる「橋本文法」をもとにしています。これは第二次世界大戦下において、中学校教科書が国定化されたときの教科書『中等文法』(1943年、文部省)が、橋本文法に依拠していたためです。学校文法は、おおよそ80年前に作られた教科書の内容をベースにして教えられ続けています。これは国語教育学・日本語学の事典を開けばすぐ出てくる話です。

 

 しかし尋常中学校の教科書検定が始まった1887(明治19)年から、教科書が国定化される1943(昭和18)年までのあいだに、中学校における文法教科書は324点出版されています*2。これはこの期間の中学校国語科において、ほかの「講読」「作文」などの科目を差し置いて最多です。まず、文法教科書にこれだけのバリエーションがあったことに驚きます。次に、このことを現代の目から見直してみると、明治~大正~昭和の文法教科書は、この324点のなかから最終的に『中等文法』=橋本文法を学校文法の内容として選んだといえます。

 

 では、学校文法の内容として、橋本文法が選ばれたのはどうしてでしょうか? この問題について考えることは、上に述べたような「なぜ学校文法が作文などの領域と関連を持ちづらくなったのか」について、歴史的な経緯を探るのに役立つはずです。

 

岩淵が橋本文法を採用した理由

 『中等文法』を作ったのは、東京帝国大学講師(肩書は当時、のちに国立国語研究所所長)・岩淵悦太郎(1905-1978)です。では、岩淵はなぜ橋本文法を教育内容に選んだのでしょう。そのことについて考えるために、まず岩淵の考える文法教育の方法や目的について確認しましょう。岩淵は、じしんが『中等文法』を編纂するときに考えたことについて次のように語っています。

 

文法教育は、与へられた法則を知識として記憶させるものではなく、学習者自身の手によつて帰納的に発見せしめ、法則を明確に把握せしめることでなければならない。従つて、研究的精神を養ひ、学問的意欲を培ふものとして、文法教育ほど適したものはないと言へる。

岩淵悦太郎(1944)「国定文法教科書に就いて」『国文学 解釈と鑑賞』9(4)、ぎょうせい、pp.30-31、下線引用者(以下同様)

 

岩淵はここで、文法の法則を「知識として記憶」するのではなく、「帰納的に発見」することが重要であると述べます。そのうえで、文法教育の目的を「研究的精神」を養うこと、「学問的意欲」を培うことにおきます。ここからは、岩淵が『中等文法』を編纂するときの前提として、次の2つが読み取れます。

 

(1)文法は、「記憶」ではなく「発見」すべきものであること。(教育方法についての前提)

(2)文法は、(「書くこと」「読むこと」などに役立てるというより)「思考力や態度」を養うものであること。(教育目的についての前提)

 

岩淵は、(1)文法が「与へられた法則を知識として記憶させるものではなく、生徒自身の手によつて帰納的に発見せしめ」と、生徒自身が「発見」するものになることを重視しています。また(2)文法によって「研究的精神」や「学問的意欲」、つまり「こうすれば日本語の法則を見つけられるのだ」「ほかにはどんな法則があるのか見つけてみたい」という思考力、態度を養おうとします。

 

ではこの2つの前提と、橋本文法はどう関わるのでしょうか。それについても、岩淵は次のように語っています。

 

従来の教科書では、――勿論中には例外もあるが――実用性の顧慮のためか、十分学的に整理されることなく、そのために曖昧なところを生じ、学習者をして混迷に陥れた部分も少くなかつたやうである。今回の教科書(勘米良注:『中等文法』)は、この点に意を用ひ、理論的に整然としたものたらしめようと意図されてゐる。例へば、「文節」といふ考へ方を導入し、単語に自立語と付属語の別のあることを明かにし、その各々の特質を説いたごとき、品詞に於いて、名詞・代名詞・数詞を区別することなくこれを一つの品詞とし、形容動詞を独立せしめ、新たに連体詞を加へたごとき、形容詞の活用に所謂カリ活用を統合一本にしたごとき、「静かに」「丁寧に」といふやうなものは、これを副詞とせずに形容動詞の一活用形としたごとき、助動詞に「さうだ」「やうだ」を加へたごときものである。

(前掲書、pp.32-33)

 

上の引用で岩淵は、生徒を「混迷」させないため、つまり生徒自身が明瞭に「発見」し「思考力や態度」を養えるようにするため、文法論を「理論的に整然としたもの」としようとします。そのときに岩淵が参照するのは「文節」「形容動詞」「連体詞」など、まさに橋本文法にあたる内容です。ここからいえることは、橋本文法は、その体系が「理論的に整然と」していると考えられ、生徒の「発見」および「思考力や態度」の育成のために有効と考えられたから取り入れられたということです。意外に思われるかもしれませんが、岩淵の当初の意図としては、橋本文法は暗記よりむしろ生徒自身が「発見」するものだったのです。

 

橋本文法が暗記の対象になっている理由

 それでは、岩淵の想定に反して、どうして今の学校文法(橋本文法)は暗記の対象になってしまっているのでしょうか? このことの参考になる議論をしているのが森田(2021)です。森田は、『中等文法』刊行以前の文法教育を明治期までさかのぼり、どのように学校文法の内容が『中等文法』にまとまっていったのかを分析しています。森田は、上記のような岩淵の議論も参考にしつつ、橋本文法のよさは「方法知として品詞分類の基準が明確」(pp.285-286)であるところにあると述べます。しかし同時に、その後の橋本文法の受け止められ方について、次のようにも述べます。

 

問題はその学習上の分かりやすさというものが、教授のたやすさに転用されてしまったことにある。

森田真吾(2021)「「学校文法」成立過程における指導内容の生成と収斂」筑波大学博士論文、p.286)

 

分かりやすく教えやすいものが文法的な知識における「規範」として継承される状態において、そこからはみ出してしまう「異端」とは、ほかならぬ学習者個人のそれぞれの言語生活を反映した(いわゆる「談話生活」に密着した)「生の言葉」であると考えることができるだろう。

(前掲書、p.288)

 

森田は、品詞分類の基準が明確であることが(生徒の「発見」のためではなく)教師が「教授」するための「分かりやすさ」として理解されてしまったと述べます。さらに、その「分かりやす」い内容(橋本文法)が「規範」として理解されると、学習者個人の「生の言葉」が「異端」として処理されてしまうと述べます。つまり橋本文法は、教師から生徒に「教授」する対象として、そして生徒が身につけるべき「規範」として理解されてしまったために、かえって生徒自身のことばを無視するような教え方になっているということです。

 

 ここからいえることは、文法の内容がどんなものであっても、それが「教え込むもの」として理解されてしまうと、結局生徒の実態をふまえない暗記の対象になってしまうということです。それは岩淵が「発見」するものとして想定した橋本文法が、いまは「教授」するものになってしまった現状から明らかです。もちろん、いまの橋本文法が、今日の目から見て本当に「発見」しやすいものになっているかは別途検討が必要です*3。しかし仮に学校文法を修正しても、もし教える側が新しい文法を「規範」ととらえ、生徒のことばを「異端」と見てしまっては、また同じような学習がくりかえされてしまいます。

 

 学校文法の大きな課題のひとつは、文法の内容より、文法の目標が十分に定まっていないところにあります。橋本文法の内容にすべての原因を帰すのではなく、「そもそも文法は何のために教えるのか(書くこと、読むことなどに生きる「実用」のためか? それとも文法的な「思考力」のためか?)」「その目標に適した内容とはどのようなものか?」という検討が必要です。

 

まとめ

 この記事では、「なんで橋本文法が定着したの?」という問題について書いてきました。あらためてまとめると次のような結論になります。

 

  • 橋本文法が定着したのは、1943年の国定教科書『中等文法』に採用されたのが直接的なきっかけ。
  • 橋本文法が『中等文法』に採用されたのは、編者の岩淵悦太郎が、橋本文法を「理論的に整然と」したものととらえ、生徒が「発見」し、「思考力や態度」を育むのに有効と考えたからだった。
  • その後、橋本文法が暗記的に指導されてしまうようになったのは、発見するための「分かりやすさ」が、教授のための「分かりやすさ」にすり替わって理解されてしまったからだった。
  • 文法教育の課題のひとつは、文法の内容ではなく、文法の目標が十分に定まっていないところにあると考えられる。

 

読書案内

*1:ちなみに、この内容が日本語非母語話者の日本語運用につながるかも微妙です。いま日本で使われている日本語教育のテキストで、学校文法に沿った指導をしているものはかなり少ないと思われます。

*2:文部省「検定済教科用図書表」をもとに、筆者調べ。いずれのバージョンも国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。

*3:口語文法のことだけを考えれば、未然形に「書かない」「書こう」の2つがあったり、連用形に「書きます」「書いた」の2つがあったり、同形の「書く」が終止形と連体形に分かれていたりすることは、生徒からすればかなり「発見」しづらい処理だと考えられます。

(お知らせ)文献管理、メモ管理の方法についての情報交換

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第11回 教科教育史研究会 お知らせ

 上記画像のとおり、次回の教科教育史研究会で、文献管理・メモ管理の方法についての座談会(情報交換会)を行うことにしました。このあたりの話は、意外とみなさん我流というか、「こうやってるよ」ということを他の方と共有する機会がないのではないかと思います自分がよく分からないから聞きたいだけともいう。集めた論文をどういうふうに探しやすくストックしておくか、文献メモをどういうふうに書いたりまとめたりしておくと後で活用しやすいか、といったことについて、ざっくばらんに情報交換できればと思っています。

 こんな感じのメモを作っておいていただければ、というタスクのようなものもありますが、そんなに厳密なものではなく、交流の中で話しやすいようにしておいていただければ、という趣旨です。「すごい工夫」はなくてもかまいません。というか、自分では当たり前のようにやっていることが実は「すごい」こともあるかもしれません。ちょっと他の人のやり方を聞きたいな、という気楽な気持ちで参加していただければと思います。院生や学部生の方のご参加も歓迎です。

 

 なお、ふだんの参加者の顔ぶれ(と当初のこの研究会の趣旨)からいって、教科教育史・教育史の場合の話が多くなるかとは思います。そのあたりはご了承ください。

 

 参加は下記の研究会サイトにあります、Googleフォームからどうぞ。ご参加お待ちしております!

 

sites.google.com

 

 

新型コロナウイルスワクチン(ファイザー)接種記録

*随時更新。背景情報も(余裕があれば)あとでアップします。

 

●8月27日(金)(1回目1日目)

○18:10

問診ののち、接種(左肩)。注射そのものの痛みはほとんどなし。

 

○18:15

すでに左肩が痛み始める。

よくいわれる筋肉痛というより、リンパの流れがわるい(自分は頻繁になる)ときの痛みに近い。

 

○19:00

夕食。左肩の違和感はとくになくなる。

 

○20:30

ややだるさを感じる。熱は36.3度。

 

○22:00

入浴後、とくにだるさは感じなくなる。36.2度。

 

○22:30

腕から肩にかけてやや強めの痛みと、すこし熱さを感じる。(タイピングするときも少し痛い)

 

 ●8月28日(土)(1回目2日目)

○7:20

起床。肩の痛み以外に体調不良感はなし。左肩を下にして寝るのがすこし辛い程度。36.7度(むしろきのうの体温が低く、自分はこれくらいが平熱)

 

○10:20

シャワーを浴びる前後で、肩の痛みが増してくる。まるでまだトゲ状のものが刺さっているような感覚。シャツがすこし着づらかった。その他の体調不良はなし。

 

〇13:40

昼食後にシャツを着替えたところ、服が肩にこすれるだけで顔をしかめたくなる痛さ。それ以外は特別な体調不良なし。

 

○15:00

何もしてなくても左腕が痛むようになる。

 

○15:30

かるい頭痛が始まる。

 

○15:40

37.1度。「始まったな……」

 

○16:00

セデス(本日1回目)投入。

 

○17:00

痛みがだいぶラクになる。

 

○17:30

36.8度。肩の痛みと、風邪の引き始めのような倦怠感。

気のせいだと思っていたけど、眠気も副反応と関係があるかもしれない。通常より重い感じの眠気。

あと、猛烈な空腹感。

 

 ○20:30

食欲はまったく落ちず(むしろいつもよりあるくらい)。やや頭痛とだるさ、ただ体温は36.5度。

 

 ○22:40

鎮痛剤は切れたはずだけれど、頭痛はなく、だるさもあまりない。肩の痛みは変わらず(やはりこすれると痛いので、着替えがちょっとつらい)。入浴後の体温36.4度。

やったか!?

 

 ●8月29日(日)(1回目3日目)

○7:30

起床。36.6度。頭痛だるさまったくなし。肩の痛みもだいぶ引く(注射したところに触ったり、大きく腕を回したりしたときだけ痛い)。本当にやったっぽい。

 

これ以降の1回目分は、なにか異変があった場合だけアップします。 

 

●9月17日(金)(2回目1日目)

○18:00

接種。注射はまったく痛くないけれど、やはり打った直後から筋肉痛のような痛み。

 

○20:00

左腕(接種したほう)の親指の腹を押すと痛い気がする。

 

●9月18日(土)(2回目2日目)

○9:00

起床。36.4度。左肩はとても痛い。やや頭に鈍痛。親指の痛みも増している気がする。

 

○9:20

肩、ひじ、腰が痛くなってきた気がする。

 

○9:50

体の節々が痛んで動きづらい。セデス1回目投入。

 

○10:10

この記事を打っている指10本にそれぞれ違和感。

 

○10:40

宅配クリーニング対応で中腰になったところ、膝と足首が重くてつらい。横になる(この投稿はスマホから)。

 

○12:10

トイレに起き上がったらちょっと寒気を感じるので、一枚上着をはおる。身体中の関節という関節が炎症を起こしている感じがする(痛いというか、モヤモヤあるいはツーンとする感じ。伝われ)。ほかの目立った症状なし。36.5℃。指の腹の痛みはあまり気にならなくなった。

 

○12:40

魚介ラーメンおいしい。ただし体温は37.7度。明らかに炎症が強くなってきて、動きがゆっくりになっている。

 

○15:20

起床。37.9度。関節痛はやや収まったけど頭痛とアゴの痛み。セデス2回め投入。

 

○17:20

また寝てた。38.1度。関節痛はそうでもなくなってきて、だんだん暑くなってきた。

 

○17:50

汗だくになりながらABEMAトーナメントを見る。36.9度だが、身体はまったく軽くなっていない…。

 

○18:40

ばんごはん(鍋)。食欲はそうでもないけど食べる。汗が止まらないのと、頭痛。体温は下がって36.4℃。関節痛が大人しくなったのはいいけど、ここにきて頭痛が強まる。

 

○19:00

うとうとしているあいだに汗が止まる。体もちょっと軽くなってきた? 頭はまだ鈍痛。

 

○19:20

頭痛とだるさ。セデス3回め投入。すこし家のことやったらまた汗が吹き出す。なぜか突然右の横隔膜に痛み。

 

○23:00

目が覚める。頭痛以外はだいぶ体が軽くなる。汗も引く。シャワー浴びて再度就寝。

 

●9月19日(日)(2回目3日目)

○6:00

起床。やはり頭痛と、肩、顎、脇の下などリンパの痛み。ただこれはずっと寝てたせいかも。36.5℃。

 

○6:40

座って仕事してみたものの、非常なだるさでお布団に帰還。セデス本日1回目投入。

 

○8:00

朝食。鍋の残り食べる。座っているとすぐに疲れる。すぐにお布団に帰還。

 

○12:00

気がついたら寝ていた。薬は切れたはずだが頭痛も関節痛もない。ただひどい肋間神経痛(これは寝ながらスマホを見ていたからかも)。マックデリバリーで月見バーガー食べる。

 

○13:50

新聞を読む気力がわいてくる。

 

○17:20

痛みやだるさが完全に消える。リンパはやたら張っているけど…散歩行ってお風呂浸かります。おつかれさまでした。

 

 

 

SpatialChatを使って学会で交流活動してみたレポ

タイトルのとおり、第140回全国大学国語教育学会2021年春期大会(オンライン)において、オンライン学会における「交流」「雑談」の実現をめざした企画を、SpatialChatというツールを用いて行いました。このポストでは、今後オンライン上での研究交流を企画したい方向けに、SpatialChat(以下スペチャ)を用いた交流のメリットや反省点についてまとめます。

 

SpatialChatとは

まず公式ページから(英語)。

 

spatial.chat

 

最大の特徴は、自分のアイコンを自由に動かし、「近くにいる」人と雑談ができるところです。

 

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スペチャのサンプル

 

サンプル画像を使って説明します。図の中には5人の参加者がいます。この位置関係の場合、「白馬」からすると「きつね」の声は聞こえますが、左側の「がん」「かえる」「かに」の声は聞こえません(相手側からも同じ)。ここでもし「白馬」が自分のアイコンをドラッグして左のエリアに近づけると、だんだん左側の3人の声が大きく聞こえ、「きつね」の声は小さくなっていきます(途中では両方の声が混ざって聞こえます)。

 

こういうふうに、スペチャの最大の特徴は「ルームの概念なくグループ間の移動が自由にできる」「大人数で『ごちゃごちゃ話せる』」といったところにあります。これが今回交流企画で、Zoomではなくスペチャを使った理由です。Zoomも非常に便利ですが、ブレイクアウトルーム間の移動がしづらい(システム的には可能になりましたが、いまのグループの会話をいくつも離席して回るのは心理的にしづらい)ことや、会話のターンが1人に限定されがち(だれかがずっと話し、その間ほかの人はずっと聴く展開になりがち)なのが難点といえば難点です。それに対しスペチャでは、より自由度高く「立食パーティ」のような空気感で交流できます。これは目的によってはZoomより威力を発揮すると考えました。

 

企画概要

わたしが担当していたのは「若手研究交流企画」でした。これは「学会発表するわけではないが研究・教育について話をしてみたい」「ほかの学校の院生や若手教員と情報交換してみたい」「とにかくふだん会わない人と雑談したい」といった人々の交流の場をつくるのが目的です。学会や若手(とくに大学院生)をとりまく状況がさまざまに変化する中で、とくに教科教育系の学会の場合、学会からすると「現場に出てからも学会に途切れずに来てほしい」という思いがあります(おいそがしいのは承知していますが……)。そのために若手院生・若手教員も積極的に参加できるコンテンツとして企画しています。

 

当初の計画では、「関心のあるキーワードを数点書く*1」「キーワードをもとにやんわりグループを作り、あとは自由に交流する」「状況を見て、1回程度『席替え』の時間をとる」といったことだけ決めておきました。あまりこちらが主導するプログラムを設定するイメージではなかったです。

 

よかったこと

以下、スペチャによる交流会をやってみてよかったことを点述べます。

 

(1)コロナ禍における「雑談」の場をつくれた

Zoom等によるオンライン学会の課題として、プログラムの前後の「余白」がないということがあります。対面の学会であれば、分科会で久しぶりの方とお目にかかって挨拶したり、プログラムが一区切りついたあとに質問者と追加のディスカッションをしたり、懇親会で気のおけない人と世間話をしたり……など、さまざまな「雑談」の機会があります。そしてそれこそが、自分の研究のモチベーションになっています(やはり具体的なリアクションがあると気持ちが高まります)。当学会でオンライン大会を行ったのは(規模の大小はあるものの)今回3回目なのですが、この「余白がない」ことが大きな課題に感じられていました。Zoomミーティングの分科会でも、流れで終了後に「感想戦」が始まることはありますが、やはり司会者や発表者メインというか、一聴衆が「あ、○○さ~ん」のように呼びかけたりするのはかなり心理的ハードルが高い気がします。

 

しかし今回この企画ができて、「みんながわちゃわちゃ好き勝手に話している」感覚を久しぶりに味わいました*2。久しぶりすぎて、はじめよく状況が飲み込めませんでした。笑 ふだんお目にかかれない方やはじめてお目にかかる方と、「予定にない話」をするのっていいなあ、と自分がしみじみしていました。この感覚を味わえただけでもやってよかったです。

 

(2)初対面の人どうしがつながる場をつくれた

(1)とも連動しますが、ファシリテーターとして動くなかで、初対面の方どうしをつなぐことも(ほんのちょっとですが)できました。上記のように自由度の高いツールなので、ときには「どっちに行こうかな……」と迷う方も表れます(これも対面の立食パーティといっしょですね)。そういう方がいたらなるべく声をかけるようにしていたのですが、その中で、類似のキーワード(「話すこと・聞くこと」だった気がしますが、必死だったので具体的には覚えていない 笑)を入れている方どうしご案内して「はじめましてー」「あ、はじめましてー」という場をつくれました。そのあと話がどう進んだかわかりませんが、こういうことができたのはよかったと思っています。

 

コロナ禍で、もし「余白」がない期間が長引いていくと、他大の院生と関わりをもたないまま院生生活を終える方も表れるかもしれません。他大の院生との関わりは別に必須ではないですが、研究・教育に関して考えるコミュニティやつながりが小さく、細くなっていくことにメリットはほとんどないと思います。むりにつながりに行く必要はないですが、希望する方にはチャンスが用意されている方が確実に望ましいと思います。もしそういうお手伝いができたのなら、ほんとうによかったです。

 

反省点

(1)参加者リストに頼らない(参加者が「最初に行く場所」を用意しておく)

ここからが、具体的な企画の反省点です。反省点の第一は、冒頭のグループ分けがうまくいかなかったことです。前述のとおり、当初の計画では、入力されたキーワードをもとにグループ分けをするつもりでした。キーワードは、画面右側の参加者リストから確認できます(画像参照)。

 

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スペチャ全体像

(この画像だと出ていませんが、お名前のうえにポインタをおくとプロフィールに入れたキーワードがポップアップします。次の画像も参照)

それで開始時刻を待っていたところ、なんと当日30名以上の方においでいただきまして……*3なお半年前の前回大会の同企画(Zoomミーティングを使用)は8名程度の参加でした。予想以上の満員御礼、これが1つ目の(ありがたい)読み誤りでした。

 

いやそれでもやるしかない! ということでグループ分けを試みたのですが、すぐ断念しました。それはリストのメンバーが入退室を行うたびに随時更新されていくので、グループ分けするためのツールとしては機能しなかったためです。もうすこし具体的にいうと、

 

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リストその1(人が変わる前)

上の画像のように、「A」さんがリストを見て一生懸命グループ分けしようとしているとします。ほう、「ア」さんは「書くこと」がキーワードなのだな、ではほかの方は……などと考えていると、

 

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リストその2(人が変わった後)

「ア」さんが退室して、「甲」さんが入ってきました。このように、遅れて入ってくる方、事情があって退室する方、いろいろいらっしゃいますので、このリストは随時動きます。あとから入ってきた方もうまく分けないと、その方だけお待たせするようなことにもなりかねません。動的なリストを使ってのグループ分けはむずかしい、これが2つ目の読み誤りでした。

 

そういうわけで当日は、こちらからのグループ分けを断念し「近くで似たキーワードの方を探して話してみてください、まずは自己紹介から」といったざっくりした案内だけを行い、あとは個別対応することにしました。前述のとおり、交流自体は盛り上がったのですが、終了後には「楽しかったけど、もうちょっと最初のコーディネートがほしかった」というご意見もあったようです。そりゃそうだ(申しわけないです)。このあたり、もうちょっと周到に準備しておくべきだったと思います。

 

ひとつの解決策としては、参加者が「最初に行くところ」を用意しておくというものがあります。スペチャで参加者がいちばん戸惑うのは、おそらく「入室したとき」だと思います(「これからどうするの?」という状態)。そこで、ピン留め画像で「看板」のようなものを複数置いておき(たとえば「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」……など)、別画像で「まず自分の関心に近いキーワードのあたりに移動してください、細かいグループ分けではあとで行います」といった案内を行います。こうすれば、近いキーワードの方どうし近くに移動してくださると思いますので、「リスト」でなく「本人のアイコン」を見ながらグループ分けできると思います(本人のアイコンにポインタを合わせてもプロフィールの確認が可能)。これなら後から人が増えても、比較的混乱がすくなくグループ分けできるのではないかと思います。またこういうふうに「二段構え」のグループ分けにしておけば、遅れてきた方が途方にくれる可能性も下がります。万一こちらの手が回らなくても、すでにあるグループに合流できる可能性が高くなるためです。このあたりは、スペチャの自由度を甘く見ていたなあ……というのが反省点です。

 

(2)ルームが思ったより広い(何人かで手分けする)

反省点の第二は、スペチャのルームの広さでは個別フォローがたいへんだった、ということです。本企画の責任者はわたし一人なのですが、前回の人出がそこまででなかったこともあり、正式にサポート役をお願いしていたのはお一人(前回参加者のうちの有志)だけでした。そして前述のような状況になり、おそらくうまくグループに分かれられない方もいらっしゃると思うので、個別にフォローせねば……と考えていました。が、あらためてルームの全体像を見ると、

 

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スペチャ全体像(再掲)

けっこう広いんですよね……(ちなみにこれは全体の6割程度で、本当は左と下方向にもうちょっとスペースがあります)。このなかで、うまく交流できていない方に声をかけ、随時ほかの参加者につないでいく……という支援を行うのは、2人ではなかなかしんどいものがありました。

 

またこれは批判でなくてほんとうにありがたい話なのですが、交流の状況の確認のために「なにかお困りですか~」とわたしが話しかけに行くと、「あ! 午前中の課題研究発表*4おもしろかったです! あの○○という点が~」という返答がかえってきて、わたし自身の交流が盛り上がってしまう(ほかのグループを見に行けない)、という現象も発生しました。繰り返しますが、ほんとうにありがたい話です(わたしももっとゆっくりお話ししたかった……)。ですが自由度の高いスペチャのコーディネートということを考えると、おそらく事前に人出を確保しておかないと、いろいろな状況に対応しきれないのだろうと思います。このあたりも、次回は事前に策を練っておきたいと思います……。

 

結論は、やってよかった

ということで、わたしのうかつさもありましたが、企画全体としてはおおむね楽しい時間になったのではないかと思います。これもZoomと別に、スペチャというツールを入れたおかげかと思います。Zoom/スペチャの二元体制がベストかどうかはわかりませんが、結果としてZoomが「かたい」場(分科会中の時間など)、スペチャが「やわらかい」場(分科会終了後の時間など)というふうに棲み分けされていたようにも思います。おそらく次回の大会(本学会は次回もオンラインで行うことが決まっています)でもスペチャは取り入れることになると思いますので、よりよい運用の仕方をまた検討していきたいと思っています。

*1:スペチャにはプロフィール欄があるため、そこにキーワードを記入することができます。そこで任意のキーワードを設定してほしい旨を書いたスライドを画像に変換し、ルームにピン留めしておきました。

*2:今回の大会ではこれと別に「発表交流」という、まさに発表後の「感想戦(追加のディスカッション)」を行うためのプログラムも、同じくスペチャで設定していました。おそらくそちらの企画で同様に交流を楽しんだ方もいるのではないかと思います。

*3:ちなみにスタンダードプランを2アカウント契約していたので、最大で50名×10部屋まで参加できました。本学会の大会参加者は例年300~400名なので、これで問題なく運営できました。なお料金は固定料金の100ドル弱に加え、規定人数、時間を超えた追加料金が40ドル弱でした。

*4:この企画の前の時間、本稿筆者が課題研究発表という学会プログラムで発表していたことを指します。

課題研究発表に登壇したレポ(成果と反省とこれから)

はじめに

楽しかった学会も終わり、きょうから通常業務です。通常業務といいながら、緊急事態宣言なので対面授業はありませんが。正直体力的にはハードだったのでありがたい……(LMS対応はいつもどおりやっています)。

 

さて、実行委員会および登壇者として関わった第140回全国大学国語教育学会春期大会(オンライン)が、ぶじ閉幕しました。当学会のオンライン大会は実質3回目ということで、だいぶノウハウも蓄積されてきた感があります(それでも開会中の緊張感はなかなかのものですが)。

 

今回はその中でも、自分が深く関わった課題研究発表について書き残しておきたいと思います。ほんとうはSpatialChatという雑談サービスを用いた「若手研究交流企画」についても書きたいんですが、それはオンライン学会の運営に関する話が主になるので、また別ポストで。なお課題研究発表の概要は、1つ前のポスト参照です。

 

mera85326b.hateblo.jp

 

課題研究発表について

課題研究発表「国語教育史研究(資料研究)の可能性・方向性を再考する」に登壇しました。わたしの担当は「教科書史・教科内容史研究の可能性・方向性―文法教育史に関する研究を事例として-」で、教科書分析をやってきた自分の仕事をもとに、歴史研究から学べる方法知とは何か? ということについて論じるのが目的でした。

 

当日の発表資料はこちらからご覧になれます。

researchmap.jp

 

自分の発表内容については上記をご覧いただくとして、ここでは当日の質疑応答の補遺について書いていきたいと思います。

 

(1)教師のレディネスについての気づき

当日のご質問で多かったのは、「文の成分優先の方針がうまくいかなかったのは、生徒側の問題というより、教える側の問題なのでは?」というものでした。つまり、内容の変化に対して、教師側の準備が追いついていなかったのではないか、ということでした。この観点は正直なところ抜けていました。これまでずっと学習者側の記述を探していたのですが、そちらの観点に注目すれば、またちがった史料の読み方ができそうです。これは本当にありがたいご指摘でした。

 

またそのほかにも、文法教育の課題(今日的なものを含む)について言葉にする機会をいただいて、わたし自身も論点整理ができました(夕方の「反省会」では、大和大学の舟橋先生からも貴重なお話をたくさんいただきました)。ご質問くださったみなさま、どうもありがとうございました。

 

(2)もっと「国語教育史研究とは」という議論を?

一方、テーマに対して、内容でももっと方法知というか、「そもそも国語教育史とは?」ということにふれるべきではないかというご指摘を(非公式の場ですが)いただきました。たとえば以下のツイート。

 

 

 

 

 

これはまったくもってありうるご指摘で、もっと発表の軸足を「方法知」を含めた国語教育史をメタ的に見る話におくかたちもありえたかもしれません。実際、ご質問の内容も、前半の「内容知」としての研究内容に関するものが多かったような気がします。そうだとすれば、もっと議論そのものを「方法知」やそれに類するものにおいて、議論を焦点化させるべきだったかもしれません。

 

今回このような構成にした意図は、内容知としての歴史研究を実際に行う中で、実際に駆動している方法知のすがたを示すことができないか、というところにありました。方法知は、定義からいって言語化するのが難しいものです。もっといえば方法知は、「チェスでいい手が見つかる」というように、実際の思考や行動の中で「駆動している」ものです。その生き生きとしたすがたを捉えるには、話題じたいは内容知だけれども、その内容知を論じている姿のなかに垣間見えてくるものを拾い上げるのがよいのではないか……というのがわたしたちの意図でした。わたしのほかの登壇者への質問(あらためて要約すると「知見が知見として成立するときとしないときの差は何か」といったこと)も、それぞれの登壇者の内容知をしっかり議論したうえで、内容知が成立するときと成立しないときの違いを明らかにできれば、「ではそこで方法知はどんなふうに働いているのか」ということを考える糸口になるのではないかと考えたからでした。

 

ただ、もっと真正面から「方法知について語る(語ろうとする)」ことで、もっと充実した議論ができたのかもしれません。内容知から方法知へと議論を「テイクオフ」させるために、もっと助走の距離をちぢめて「飛ぼうとしてみる=方法知を言語化しようとしてみる」チャレンジが必要ではないか、ということは、今後の自分の課題にしたいと思います。ありがとうございました!

 

*その意味では、本番中にとりあげた石田先生の「歴史研究者が現代の教育のプロジェクトに関わるとき、どういうスタンスで関わってるのか」という質問には、もっとクリアに答えられるべきでした……これはまさに「テイクオフ」するいいチャンスだったのに……不覚。また考えます。

 

(3)あらためて、研究へのモチベーション

ここまで述べてきたように、発表と質疑応答じたい、自分自身にとって非常に得るところが大きい時間でした。が、何よりうれしかったのは、そのあとの交流の時間(若手研究交流企画など)で、わざわざ私のほうに来て「さっきの企画、おもしろかったです」と声をかけてくれる人が何人もいたことです。今回の話はじぶんの博論がベースになっているので、出身の研究室に入って11年目、自分の研究のキャリアをほとんどを費やしてきた内容です。その内容を、今回はじめてまとまったかたちで学会で話すチャンスをいただいて、さらにこういうレスポンスをいただけるのは、本当に励みになります。コロナやそれに関する授業対応などで日常のことに追われる日々ですが(きょうも帰宅してから授業動画を2本撮りました 笑)、あらためてもっと研究がんばろう、と思えました。これに飽き足らず、さらにおもしろい研究ができるようにしていきたいと思います。

 

あらためて、当日聞いてくださったり、貴重なご意見をくださったりしたみなさま、本当にどうもありがとうございました。

第140回全国大学国語教育学会大会(春期オンライン)について

学会当日にするポストじゃないのは承知しておりますが……宣伝です。笑

 

きょうからタイトルの学会のオンライン大会が行われています。今回も実行委員会として関わっています。今回は以下の2企画でしゃべります。

 

●課題研究発表「国語教育史研究(資料研究)の可能性・方向性を再考する」

(5月30日(日) 9:30~ Zoomウェビナー)

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登壇します。趣旨としては、「歴史研究は、研究内容だけでなくどんな方法知をわたしたちにもたらしてくれるのか」ということを考えられれば、と思っています。

 

わたしなりの文脈で説明すると、歴史研究をやっているとよく「これは現代にどんな示唆をもたらすんですか?」というような質問を受けます。ですが、「現代に示唆をもたらすため」行う歴史研究は、いろいろな問題があると思っています。それは現代の枠組みを自明視して、その枠組みから歴史を評価する(現代に使えるからいいとか、現代と違うからダメとか)ことになりかねません。そうではなく、いちど現代の枠組みを保留して、「過去の枠組みがどうだったのか」を考えることが現代をより深く理解するために重要だと考えています。そしてこのような視点に立てること(現代の枠組みを相対化しようとする姿勢など)が、歴史研究によって得られる方法知のひとつ(=思考や行為を可能にするための知識)だと考えています。

 

当日はわたし自身の研究のお話を交えながら、歴史研究はわたしたちに何をもたらしてくれるのか、ということについて考えられればと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 

●若手研究交流企画

(5:30(日) 13:30~ SpatialChat)

 

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企画担当者です。こちらは、「まだ学会発表するほどではないけど、研究や教育について話がしたい」「ほかの学校の院生や教員がどんなことをしているのか情報交換したい」という方向けの、雑談的な交流会です。コロナ禍の状況で、なかなか「自由に話す」ということがむずかしい状況かと思います。ぜひこの機会を活用していただければと思っています。

 

当日は、「SpatialChat」というサービスを使います。これは自分のアイコンを動かして、近くのアイコンの人とは大きな声で話ができる、離れるとアイコンが小さくなり声も遠くなる(さらに離れると聞こえなくなる)というサービスです。これにより、たとえば従来のミーティングよりさらにグループの移動がしやすく、かつ雑談に近いコミュニケーションを楽しんでいただけるのではないかと思っています。

 

*くわしい利用方法はこちらの動画もご覧ください

www.youtube.com

 

当日は、かんたんな交流プログラムや、スタッフの支援も予定しています。ぜひお気軽にご参加ください。

 

学会参加は、いまからでも可能です(クレジット決済)。ご興味のある方はこちらの「大会の参加について」内リンクやマニュアルからご参加ください。たくさんの方のご参加をお待ちしております。

 

www.jtsj.org

 

なお、申し込み不要の公開講座では、「言葉のティンカリングとことばあそび 詩創作の下書き、共有、評価をどう促すか?」というテーマのワークショップを行います。イギリスのスー・ディモク先生をお招きし、詩創作指導について考えるときの手がかりになるワークショップを行います(通訳あり)。ショートノーティスになり恐縮ですが、きょう(29日・土)の17:30からYouTubeLiveで視聴可能です。時間になりましたら、以下のYouTubeチャンネルからご覧ください。よろしくお願いします!

 

www.youtube.com

第2回「教科教育史研究会」のおしらせ

 熱い宣伝です。(何

 

 来たる3月28日(日)、自分が主催のひとりである「教科教育史研究会」の第2回研究会(Zoom使用)があります。

 

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 発表者はわたしです。「なぜ、いま、文法教育史なのか?」というタイトルで、国語教育史(とくになぜ学校文法の教育史)を、なぜ論じる必要があるかについてお話しする予定です。また研究のモデルケースとして、自分の博論の内容もすこしお話しする予定です。

 

 ものすごくかいつまんでいうと、わたしはいまの文法教育の問題(暗記主義的な指導法になってしまうとか、言語活動と結びついていないとか)は、橋本文法のせいではなく、学校における国文法指導がもっている構造的な問題だと考えています。それは、橋本以前にも「暗記でない文法」「他の領域に関連する(=実用的な)文法」の必要性を主張する声が多くあったからです。しかしそれらの取り組みは、また別のさまざまな困難を抱えており、結果としてうまくいきませんでした。橋本が、これらの取り組みをまったくふまえていなかったとは考えられません。橋本は無理解によっていまの学校文法の内容(の一部)を提唱したのではなく、むしろわかっていたために「あえて」「実用的でない」文法の内容を示した可能性が高いです。そうだとすれば、橋本がここで直面した「文法」と「実用」に関する課題とはどんなものだったのかを考察する必要があります。この課題を無視していては、わたしたちは「橋本以前」の段階にとどまってしまうかもしれないからです。これがわたしが文法教育史の研究をしている理由です。

 

 当日は上記のようなお話と、実際に橋本以前にどんな取り組みがあったのか(そしてどんな課題があったのか)について発表できればと思っています。そしてそこから、これからの学校文法を考える糸口についてディスカッションできればと思っています。ご興味のある方、ぜひご参加ください。

 

↓参加は以下のフォームから

docs.google.com